民舞(みんぶ)ってなぁに?

話せば長いよ!
「民舞ってなんですか?」とよく聞かれる。この手の質問が実は意外にやっかいである。簡単に説明すると「ああー民謡ですねえ。」と納得されて終わってしまうし、しっかり話そうとすると聞いている人の大半がが嫌になってくるらしい。
日本の伝統的な舞踊文化遺産はたくさんある。大きくは「舞」と「踊り」に分けられる。「舞」と呼ばれるものには、舞楽、能、神楽、上方舞などがあり、「踊り」としては歌舞伎、盆踊り、念仏踊り、民謡などがあげられる。

私たちが民舞と呼んでいるものは、日本の各地に古くから伝えられてきた、地方地方の踊りである。   
民舞の最大の特徴は「働く民衆の手で作られ、伝えられてきた」ということであると思う。働く民衆がその生活や労働の所作や辛さや喜び、、自然や神、祖先に向けての、畏敬畏怖の念などを唄や踊りに込めて作り上げ伝えてきたもので、多くは地方ごとの祭りなどで踊られている。

人類が地球上に誕生したのは4万年も前だというが、踊りはいつ頃誕生したかといえば、「神様につながる行為」として言葉の誕生よりも早くからあったといわれている。
人は、自然の現象(天候とか人の生死など)を、人間を超える偉大な力を持った存在がつかさどっていると信じ、願ったのである。

何故、いま民舞なの? 民舞の教育的意味は
だれもが踊っていたものが、「見る側」と「踊る側」に分かれ、踊りの場が「舞台」と「客席」とに分かれてきたのは、人類の進歩につれてである。本当に進歩・進化であるかは疑わしいが。
日本では、明治以降の近代化教育の中で、西洋の音楽が取り入れられ、体育の授業ではダンスは教えても民舞は教えられない。子どもたちは背筋を伸ばし、つま先に重心を置き、リズミカルに美しく動く事を要求される。
民舞は、踊りの特徴が「カギ足、丸腰、ガニ股」だから、だれでも踊れる。踊りの原型は生活や労働の所作にあるので決して美しくはないが動きに無理がない。どうしてもこの形でなければいけないという制限もない。

今、松本市では多くの保育園が民舞を楽しんでいる。迦楼羅のメンバーが自分の転勤先で種を撒いている。そこでは、ふだんどちらかといえば運動音痴と捉えられがちな子たちが生き生きと踊っている。
友だちと遊べない、言葉がなかなか出てこないと言われていた子たちが、見る見る変わる。
民舞はとにかくおもしろい。だから「今、民舞」なのだ。